楠郷総社神明社

由  来

 楠山城が正平24年に楠町本郷に新しく築城された折、初代城主として伊勢国司北畠氏の被官で信州諏訪出身の諏訪十郎貞信が就きました。
境内社中の上諏訪社は、初代城主の諏訪十郎が祖国の武神である諏訪神を勧請(かんじょう)したと言われ、四日市諏訪神社はこの諏訪神の分神だとも言われています。
詳しい記録は残っていませんが、四反(約4,000u)の境内地と六反(約6,000u)の風致林を有していたと言われており、相当広大な土地であった事がうかがえます。
しかし、鈴鹿川の氾濫の際に自然にできた鈴鹿川派川により南の境内が川底に沈んでしまい、大正六年には伊勢鉄道開通の際に南西の一端が分断され、今の敷地形状となりました。

 明治40年代に全国で実施された神社整理で、三重県は全国にも類のない強行方針で実施され、この楠町も例外ではなく明治41年から43年までのわずかな期間に楠郷総社神明社に合祀され、社名も楠村神社と改められました。
しかし、氏子の不満が抑えられず、大正15年に南五味塚、昭和2年に本郷、昭和28年に南川でお宮復興がなされました。 終戦後に南五味塚の神社は南御見束神社として、本郷の神社は楠村神社として、南川の神社は爪生神明神社として独立を認められ、現在の楠郷総社神明社の形になりました。


主な祭神

 天之御中主神・大日霎貴尊・玉依毘賣神 など


神  紋

 梶紋「立ち梶の葉」

参拝方法

 鳥居の前に来たら軽く頭を下げ、神域に入るという気持ちになります。
 手水舎で心身を清めます。(「手水をとる」といいます)
  @右手でひしゃくに水を汲み左手に掛けます。
  A次に、左手に持ちかえて右手に掛けます。
  Bまた 右手に持ちかえて左の手のひらに水を受けて口をすすぎます。
  C口をすすいだら、もう一度左手に水を掛けます。
  D最後にひしゃくを立て、残った水をひしゃくに流してすすぎます。
  E次の人のために伏せて元に戻します。
 二回おじぎをします。(二拝or二礼)
 二回拍手をします。(二拍手)
 一回おじぎをします。(一拝or一礼)


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