保存会の歴史

発足のあらまし

昔の祭礼は、春の御鍬祭と秋の五穀豊饒祈願祭として祭日の前日から農家の青年団が奉仕にて神社に大幟を立て夜通し宮守をしていました。その頃、祭の夜には太鼓をたたき踊りを踊っており、その踊りを見物に来る人で大変賑わったそうです。
しかし、時代と共に町を離れる若者が増え、青年団へ入る人が減って活動ができなくなり、いつしか自治会が引き継ぐ事となりました。
その様な発展途上の町に於いて、「何か新しく面白みのある事」、「賑やかな事」、「楽しみになる様な事」をしようではないかという事で、昭和三十六年から秋祭りに神輿や華車(太鼓や鐘を装備し仮装した車)にて町内を練る祭を開始したようで、その頃に当会の前身とらる初代保存会を結成し、今ある大神輿も担いで練ったそうです。この大神輿は昭和三十九年八月に、東京の三社祭で有名な浅草の挙部屋五郎右衛門にて購入したとの事です。その後十年くらいは小さい子供からお年寄り迄、全ての人達が参加し地区を上げての盛大な祭が行われた様ですが、これもまた色々な要因が重なり、しだいに祭ムードも薄れかつぎ手も減り保存会は解散し、いつしか大神輿は長い休息をとる事を余儀なくされてしまったのでした。
そんな中、各地区自治会は祭りを絶やさぬよう小型神輿を新たに四台追加購入し、子供会の行事として今日まで続けましたが、少子化等で子供たちだけでは祭が成り立たず本来の持ち味が薄れ、しだいにおもしろみの無い行事として消化して行くだけの祭になりつつありました。
そこで、何か必要ではないかと思い、有志を募り神社の片隅で眠っていた大神輿を引きずり出し大人も神輿を担いで祭を楽しむ事を思いついた。しかし、二十数年の休息はあまりにも永かったようで、神輿はかなり老朽化していました。そこで神輿の修復を計画し、一般コミニュティ事業補助金が採択されましたが、これだけでは不足することもあって住民の皆様に寄付を募り、修復費を用意する事ができた。
そこで、製作者である東京浅草の挙部屋五郎右衛門に運び込みましたが、お願いした当初は古い型の修復は出来ないとの返答でした。しかし、この神輿には「南部屋五郎右衛門」の銘板があった事により現在の神輿師が調べた結果、先々代の作品である事が判明した事により不可能と思われた大修復が実現のものとなり、北楠保存会(現 北楠祭り文化保存会)が発足しました。




歴 史

昭和36年  神輿や華車による祭りを始める。(この頃、初代の保存会が発足)
昭和39年  大神輿購入。【東京浅草「南部屋五郎右衛門」】(8月)
平成13年  (新)北楠保存会として会を発足。(12月)
平成14年  五味塚橋完成を記念して、五味塚橋で南楠鯨船と共演。(10月13日)
平成15年  大神輿の修繕。
平成16年  のぼり旗作成。(平成17年より一般販売)
平成18年  四日市市との合併を記念して大四日市まつりに参加。(8月7日)
平成22年  北楠祭り文化保存会に改名。(4月)


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